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一人当たりの病床数は“ダントツ”の日本が「医療崩壊の危機」に陥る理由

https://news.yahoo.co.jp/articles/4a0754d258255e90e5f132387864316beb2a0b4c

2020/12/30(水) 7:06 PHPオンライン衆知

新型コロナウイルスの感染者が急増し、医療崩壊の危機も叫ばれている。しかし、欧米と比べると、感染者はまだまだ圧倒的に少ないはず。なぜ、日本の医療体制はここまで脆弱なのか。社会保障の専門家が解説する。 ※本稿は、鈴木亘著『社会保障と財政の危機』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

早かった危機宣言

コロナ禍は、平時にはなかなか見えにくかった日本社会の諸課題を浮かび上がらせているが、医療分野も例外ではない。 特に驚かされたのが、重症者数も死亡者数もまだそれほど多くなかった2020年4月1日の段階で、日本医師会が早くも「医療危機的状況宣言」を行い、医療崩壊の危機が迫っていると発表したことである。 この時点の重症者数は累計で62人、死亡者数累計は57人(クルーズ船乗船者の11人を除く)にすぎなかったが、1日当たりの新規感染者数は前日の3月31日から200人台に跳ね上がり、累計で2348に達していた。 このため、首都圏を中心に、新型コロナ患者の受け入れ病床が、早くもひっ迫する事態となったのである。 しかしながら、欧米などの世界各国に比べれば、重症者数・死亡者数はもとより、新規感染者数でさえ、我が国はケタ違いに少ない状況であった。しかも、我が国の医療機関は、世界各国に比べて、人口当たりの病床数(ベッド数)が特に多いことで知られている。 例えば、2017年時点で、日本の人口1000人当たり病床数は13.1と、先進各国(OECD加盟国)平均の4.7を大幅に上回る。それにもかかわらず、早くも医療崩壊寸前の状況になったと聞き、本当なのかと驚いた国民が多かったに違いない。

「やりすぎ」だった厚労省

新型コロナ患者の受け入れ病床がひっ迫した理由はいくつかあるが、まず第一に、厚生労働省による感染症対策のレベル設定が高すぎたことが挙げられる。 一言でいえば「やりすぎ」であり、この新型コロナウイルスの特性や医療現場の実態に適合していなかった。その後、医療現場の声を聞きながら修正が図られてきたが、厚生労働省の対応は遅く、小出しであった。 感染症法では、症状の重さや病原体の感染力の強さなどから、感染症を一類から五類の感染症、指定感染症、新感染症、新型インフルエンザ等感染症の8つに分類している。 新型コロナウイルスは指定感染症に指定されたが、これは病原性ウイルスが何かは特定されているが、従来の分類に分けられない新たな感染症であるという意味である。 対応策は政令でかなり柔軟に設定できる仕組みとなっているが、二類相当の感染症と位置付けたため、非常に高いレベルの感染症対策が求められることになった。 二類感染症とは結核やSARS、鳥インフルエンザ(H5N1)が分類されるカテゴリーである。ただ、実際に政令で定めた対応は、二類感染症を超える扱いで、どちらかといえばエボラ出血熱などが分類される一類感染症に近いものになっていた。 具体的には、(1)PCR検査で陽性になった者は、たとえ無症状者や軽症者でも強制的に医療機関に入院させる、(2)まだ陽性と確定していない段階だが、症状などから感染症が疑われる疑似症患者も入院措置をとる、(3)入院後は感染の恐れが完全になくなったことが確認されるまで隔離を続けることとなった。

一般病床の受け入れを増やせぬ理由

第二に、大学病院、公立・公的病院、民間病院などの受け入れ可能病床を、なかなかスムーズに拡大できなかったことが、病床のひっ迫を招いた。 もちろん、各都道府県は、域内の病院を集めた説明会を何回も開いたり、個別に交渉を行うなどして、一般病床を少しずつ空けるよう懸命の調整努力を行ってきた。 しかし、感染症指定病院ではない普通の病院にとって、新型コロナ患者を受け入れることは大変ハードルが高い。まず、新型コロナ患者の対応には、感染症専門医や訓練された医療スタッフが必要となる。 また、院内感染を防ぐためには、新型コロナ患者専属の医療スタッフを張り付け、既に世界的にひっ迫していた防護具を十分に用意しなければならない。彼らの家族への感染を防ぐためには、病院の近くのホテルに長期滞在してもらうなどの対応も必要である。 陰圧室(空気感染を防ぐために、気圧を低くしてある病室)や隔離用の障壁なども急遽設置しなければならない場合もある。したがって、都道府県が依頼できるのは、どうしても広さやマンパワーに余裕のある大規模病院に限られる。 さらに、こうした病院は空き病床がそもそも少ない。我が国の入院医療サービスの価格(診療報酬)は、基本的に患者が病床にいないと計算できない仕組みであり、検査代・手術代などの治療費以外に、ただベッドを使っているだけで請求できる診療報酬部分が意外に大きい。 したがって、病院経営は「病床を埋めてナンボ」の世界と言われ、いかに空き病床を少なく管理するかが医業収益の決め手となっている。もし新型コロナ患者を受け入れるとなると、高い収入が期待できる他の病気の入院患者を断らなければならなくなる。 さらに、風評被害などで、入院だけではなく、外来の患者数までも減少する可能性が高い。医療スタッフに対する差別も発生する。これでは、各病院とも、なかなか受け入れを了解できる状況ではない。

金銭的補償の問題

さらに、新型コロナ患者数が急増している都市部では、そもそも厚生労働省・都道府県による一般病床の数量規制(病床規制)が厳しく行われており、普段から病床が足りないぐらいである。 その上、近年は「地域医療構想」によって、高度急性期病床や急性期病床を削減・転換するよう、病院に「圧力」がかけられてきた。特に公立・公的病院については、再編統合や病床数の適正化案の作成期限が2020年3月に迫るというタイミングであった。 こうした事情もあり、各都道府県の担当者は、医療機関との調整が非常にやりにくかったはずである。 せめて、新型コロナ患者に対する診療報酬を大幅に引き上げられれば、調整も進めやすいのであるが、2020年2月から4月前半までは、病院に対する金銭的補償はほとんど存在しない状態であった。 厚生労働省が新型コロナ重症者への診療報酬を倍増させたのは、ようやく4月半ばのことであった。さらに、それでは全く採算が取れないという現場の声を聞き入れ、3倍増にしたのは何と5月末のことである。 また、空き病床確保に対する交付金が措置されたのは第二次補正後の6月半ばのことであった。あまりにも遅く、小出しの対応と言わざるを得ない。 どうしてこのような「戦力の逐次投入」ばかり行うのだろうか。これは厚生労働省の担当部局の想像力欠如(先読み能力不足)やロジスティクスの甘さもさることながら、診療報酬変更が「中医協」(中央社会保険医療協議会)で了承を得る仕組みとなっていることが大きい。 関係者間の高度な合意形成と利害調整が求められ、小回りが利かない中医協の問題点については拙著『社会保障と財政の危機』(PHP新書)で述べたので、興味がある方はご一読いただきたい。

都道府県間の協力関係が希薄

第三に、都道府県間の協力関係が希薄で、都道府県をまたいだ病床の融通がほとんどできないことも、特に都市部の病床が簡単にひっ迫してしまった原因である。 例えば、東京都内の病床がひっ迫しても、周辺の県の協力を得ることができないのだ。病床の調整作業は基本的に都道府県が担っており、せっかく調整できた病床を他県に譲ることなど、都道府県の首長や職員の立場では発想ができない。 しかも、近年、地域医療構想によって、病床削減や機能別病床の適正化についても、都道府県の責任が強く求められ、都道府県ごとに進捗状況を競わされてきた。 簡単に言えば、厚生労働省による都道府県別の分断統治が進んできたのである。このため、たとえ都道府県がお互いに病床を融通し合おうと思っても、もはやそのためのパイプも存在しない状況である。

機能分化の遅れと勤務医不足

出典:鈴木亘(著)『社会保障と財政の危機』(PHP新書)

お互いに譲り合う協力関係が機能していないのは、都道府県内、市区町村内も同様である。 今回、ベッド数のみならず医療スタッフの不足も指摘されているが、周辺の中小病院や診療所はコロナ禍でむしろ患者数が減っているのだから、診療時間を少なくするなどして、応援にかけつけることができるはずである。 しかし、我が国の場合には、大規模病院と中小病院、診療所は、普段から競争関係にある。なぜなら、患者はどこの医療機関に行ってもよい「フリーアクセス」の制度となっているからである。 例えば、読者の皆さんが体調が悪いと思った場合、近くの診療所に行ってもよいし、中小病院に行ってもよいし、大きな総合病院に行ってもよい。医療機関から見れば、お互いが皆、商売敵である。 このため、我が国はもともと医療機関間の連携・協力関係が進みにくい。この点、イギリスやデンマーク、オランダなどの「かかりつけ医」制度が発達している国々では全く状況が異なる。体調が悪いと思った場合には、まずは近くの「かかりつけ医」に行かなければならないルールである。 かかりつけ医が手に負えない病気であると診断して初めて、紹介状を持って病院に行くことになる。 診療所(かかりつけ医)と病院の役割分担が異なるため、普段から地域内で協力・連携し合う関係が成立している。これは、必ずしもかかりつけ医に最初に行くことが義務付けられていないフランスやドイツでも同様である。 我が国の場合、かかりつけ医制度や、医療機関間の役割分担(機能分化と連携)の必要性が叫ばれて久しいが、なかなか進まない。 第四に、そもそもの問題として、我が国は病院の勤務医が恒常的に不足している。一方で、診療所の開業医数にはかなりの余裕がある。今回の新型コロナウイルスに限らず、災害時などにおいても、簡単に病院がパンクしてしまう背景には、病院の勤務医不足の問題がある。

鈴木亘(学習院大学経済学部教授)