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社会問題

「家族4人 ロシアで感染しました」特派員一家の焦燥~夫人にのしかかる不安…異文化に振り回された日々

https://news.yahoo.co.jp/articles/ae81969b223bad03d20f846d11f6ce18c4ca5257

2021/6/29(火) 18:04 北海道ニュース UHB

 世界中で猛威をふるう新型コロナウイルス--。ロシアの首都・モスクワに赴任しているUHB北海道文化放送の特派員の一家にも襲いかかった。  家族5人中4人が感染。去年の秋、日本に一時帰国した特派員本人(当時40)が発症していると診断され緊急入院。同行した中学3年生の長男(同15)は陰性だったが、モスクワに残った3人のうち、妻(同40)と小学3年生の長女(同9)が無症状ながら陽性に。冬には小学6年生の次男(同12)も感染した。  感染が拡大し、一部で医療も崩壊したロシアで陽性になると、どうなるのか。ロシアに引っ越してからわずか2週間で外出禁止となり、生活を制限されたばかりか、その7か月後に自身も感染した妻がその苦悩の日々を振り返る。

「熱38.4度で頭痛も」 夫の職場スタッフからメッセージ

モスクワ国際映画祭を取材する支局スタッフ。どんな取材でもマスクを身につける(4月)

 6月9日夜、わたしがソファに座ってタブレットで動画を見ていたとき、隣で寝そべる夫の表情が、スマートフォンのメッセージの着信音とともにこわばりました。  「熱が38.4度。頭痛以外の症状はありませんが、あすの朝、体調をもう一度報告しますだって。日中は元気だったんだけどね」  夫はモスクワに駐在するテレビ局の記者です。メッセージは会社に勤めるカメラマン兼通訳のロシア人男性スタッフ(24)からで、コロナの感染を疑わせるものでした。  翌10日、そのスタッフはPCR検査を受け、11日に陽性が確定。軽症のため自宅療養中です。ほかのスタッフ4人や夫は陰性だったことにほっとしましたが、去年ロシアで自分の身に降りかかったコロナ禍が脳裏によみがえってきました。

一時帰国の夫“発症“…不安止めどもなく

去年10月7日、夫から届いたメッセージ。矢継ぎ早に届いたことが重大さを物語っていた

 昼食の準備をしようとしていた去年10月7日午前11時ごろ、仕事で一時帰国した夫から無料通信アプリに届いた3通のメッセージ。矢継ぎ早に届いたことが重大さを物語っていました。  「コロナ陽性だった…」  「長男は陰性」  「そっちはどう?」  まさかの知らせでした。出発前、症状はありませんでしたが、日本の検疫所で37.3度だったため、発症していると判断され、羽田空港から東京都内の病院に直行。緊急入院しました。 日本の高校を受験するため、帯同した中学校3年生の長男は幸い陰性でしたが、埼玉県にある夫の実家に預けることに。2週間の自宅待機を指示されました。  受験させてもらえるのか、そして、ロシアに残されたわたしたちは生活できるのだろうか…。不安が止めどもなくわいてきました。

感染拡大の真っただ中…40歳で“初の外国渡航“

ロシアの国境封鎖前日、モスクワの空港に到着した4人(去年3月)

 去年3月、わたしは夫が単身赴任していたモスクワに、長男、次男、長女の3人と移り住みました。子どもたちの学校の都合で、夫より5か月遅れの引っ越し。結婚してから16年間専業主婦だったわたしが、40歳にして迎えた初の海外渡航でした。ロシアがコロナで国境を封鎖する前日のことでした。コロナ拡大でロックダウンしたモスクワ。世界遺産「赤の広場」も人影がまばら(去年3月)

 2週間後にはロックダウン(都市封鎖)で外出禁止となりました。生活物資の買い物は許されていましたが、新生活は家とスーパーを行き来するだけ。7か月たっても、ロシア語も英語もあいさつが精いっぱいでした。  「夫が陽性なら、わたしたちもPCR検査を受けなきゃ。でも1人では絶対できない…」  助けを求めたのは、夫の会社のロシア人男性スタッフ(当時27)です。日本語が流ちょうで、物腰も柔らかく、夫の仕事だけでなくわたしたち家族の生活もサポートしてくれていました。PCR検査の予約も彼頼みでしたが、彼自身が陽性に。熱が出ているにもかかわらず、助けてくれました。

「大丈夫かしら」 PCR検査のスタッフ“防護服なし“

残されたPCR検査キットの包装や説明書。検査機関の女性は「自分で捨てて」と置いていった(去年10月)

 翌日8日の昼過ぎ、検査機関のスタッフが家をたずねてきました。50~60歳ぐらいの女性で、マスクは着用していましたが、防護服姿ではありませんでした。「あまり感染対策してないけど、大丈夫かしら」。わたしの不安を無視するかのように、ためらいなく玄関に入り、ぶっきら棒に検査キットを手渡しました。  「自分で採れと言ってます」。スマホをハンズフリーにして通訳してくれているスタッフの声が無情に聞こえました。女性は口と鼻の両方から粘膜を綿棒でぬぐい取れとジェスチャーでまくし立てます。検体が容器に入ったのを確認すると、ひったくるように持ち去りました。  検査結果がメールで届いたのは翌日の9日。わたしと長女が陽性でしたが、2人とも無症状。「わたし、本当にコロナなの? 熱もないし、元気だよ」。長女は納得がいかない様子でした。

マスク嫌うロシア人 都市封鎖も解除で元のもくあみ

モスクワ中心部の商店街。行き交う人の大半がマスクなし(5月)

 ロシアの感染者(今年6月27日現在)は約540万人。今も毎日2万人前後、新規感染者が確認されています。  ロシア人の大半はマスクが嫌いです。屋外でマスクを着けていると「病気なのに出歩いている」とやゆされることも。日本の飲食店ではなじみ深くなった「アクリル板」もロシアの飲食店にはありません。  モスクワは今年3月末から2か月間、ロックダウン(都市封鎖)され、外出も規制されましたが、解除とともに、すぐに感染者は膨れ上がりました。

病床不足し“医療崩壊“ 遺体処理も間に合わず…

病院の廊下で寝るコロナ感染者。地方医療は崩壊(去年11月、TV2提供)

 去年4月、モスクワでは新規感染者が急増し、病院が受け入れ不能になっていると連日報じられていました。70台以上の救急車が列をなし、患者は何時間も待ちぼうけする様子がニュースで流れる日もありました。処理しきれず、病院の安置所に袋詰めで放置された遺体(去年10月、ncindentK提供)

 12月にはロシア第2の都市・サンクトペテルブルクなど4つの地域で、病床使用率が90%以上に達し、救急車を呼んでも3日間来ない地域も。ベッドが足りず、十数人もの患者が廊下のベンチで寝たり、遺体の処理が間に合わず袋詰めで放置されたりする病院もありました。  「悪夢でしかない」「これがロシアだ。死ぬためにも順番を守らなくてはならない」。SNSには体制への批判や皮肉が飛び交っていました。

ストレスの原因…不安あおる夫の自撮りと“ごみ袋“

緊急入院し酸素吸入器をつける夫の自撮り写真(去年10月)

 埼玉県にある夫の実家に居候していた長男は、すぐに受験できる見通しが立ちましたが、夫は入院後40度まで発熱し、重症の一歩手前の「中等症2」と診断されました。 「記録しないとね」と咳き込みながら送られてくる写真や動画は、防護服姿の医療スタッフや鼻にチューブを通している自撮り。不安が助長されるものばかりでした。  「陰性だった次男にうつしてしまうことだけは避けたい」。全員24時間マスクを着用し、次男はひとり別室で過ごさせました。食事も別々、なるべく会話もしない日々が続き、3人のストレスがたまっていきます。自宅待機中に頭を悩ませたのはごみの処理。玄関に置いてしのぐしかなかった(再現)

 食料は近所に住む、次男が同級生同士のママ友に買い出しをお願いし、家の前に置いていただきました。ただ、ごみの処理には頭を痛めました。どんなに密封しても自宅がある7階から1階のゴミ捨て場へ友人に運んでもらうのは気がひけました。  30リットルの袋は日がたつにつれて膨らみ、生ごみの臭いも気になります。鳩がつつくため、ベランダに出すわけにもいかず、玄関の隅にため、しのぐしかありませんでした。

アプリと防犯カメラで監視 自宅待機守らないと”拘束”

モスクワ当局の監視アプリ。2週間の自宅待機違反に目を光らせる(去年、mos.ru提供)

 さらにイライラに拍車をかけたのが、自宅待機期間です。  「陽性が確認された日から8日後と10日後のPCR検査で陰性になれば、自宅待機は終了です」  陽性となった日から3日たった10月12日昼ごろ、往診で来た医師は2週間での解放を明言してくれました。ところが4時間後、事態は一変します。  当時、無症状で自宅待機となった人は「監視アプリ」に顔写真付きで登録され、1日5回の在宅報告が求められました。  モスクワ市内に18万台あると言われる防犯カメラの一部は顔認証システムと連動していて、登録された顔写真をもとに、自宅待機を守らなかった約200人が拘束されたと報じられました。

病床不足し“医療崩壊“ 遺体処理も間に合わず…

病院の廊下で寝るコロナ感染者。地方医療は崩壊(去年11月、TV2提供)

 去年4月、モスクワでは新規感染者が急増し、病院が受け入れ不能になっていると連日報じられていました。70台以上の救急車が列をなし、患者は何時間も待ちぼうけする様子がニュースで流れる日もありました。処理しきれず、病院の安置所に袋詰めで放置された遺体(去年10月、ncindentK提供)

 12月にはロシア第2の都市・サンクトペテルブルクなど4つの地域で、病床使用率が90%以上に達し、救急車を呼んでも3日間来ない地域も。ベッドが足りず、十数人もの患者が廊下のベンチで寝たり、遺体の処理が間に合わず袋詰めで放置されたりする病院もありました。  「悪夢でしかない」「これがロシアだ。死ぬためにも順番を守らなくてはならない」。SNSには体制への批判や皮肉が飛び交っていました。

ストレスの原因…不安あおる夫の自撮りと“ごみ袋“

緊急入院し酸素吸入器をつける夫の自撮り写真(去年10月)

 埼玉県にある夫の実家に居候していた長男は、すぐに受験できる見通しが立ちましたが、夫は入院後40度まで発熱し、重症の一歩手前の「中等症2」と診断されました。 「記録しないとね」と咳き込みながら送られてくる写真や動画は、防護服姿の医療スタッフや鼻にチューブを通している自撮り。不安が助長されるものばかりでした。  「陰性だった次男にうつしてしまうことだけは避けたい」。全員24時間マスクを着用し、次男はひとり別室で過ごさせました。食事も別々、なるべく会話もしない日々が続き、3人のストレスがたまっていきます。自宅待機中に頭を悩ませたのはごみの処理。玄関に置いてしのぐしかなかった(再現)

 食料は近所に住む、次男が同級生同士のママ友に買い出しをお願いし、家の前に置いていただきました。ただ、ごみの処理には頭を痛めました。どんなに密封しても自宅がある7階から1階のゴミ捨て場へ友人に運んでもらうのは気がひけました。  30リットルの袋は日がたつにつれて膨らみ、生ごみの臭いも気になります。鳩がつつくため、ベランダに出すわけにもいかず、玄関の隅にため、しのぐしかありませんでした。

アプリと防犯カメラで監視 自宅待機守らないと”拘束”

モスクワ当局の監視アプリ。2週間の自宅待機違反に目を光らせる(去年、mos.ru提供)

 さらにイライラに拍車をかけたのが、自宅待機期間です。  「陽性が確認された日から8日後と10日後のPCR検査で陰性になれば、自宅待機は終了です」  陽性となった日から3日たった10月12日昼ごろ、往診で来た医師は2週間での解放を明言してくれました。ところが4時間後、事態は一変します。  当時、無症状で自宅待機となった人は「監視アプリ」に顔写真付きで登録され、1日5回の在宅報告が求められました。  モスクワ市内に18万台あると言われる防犯カメラの一部は顔認証システムと連動していて、登録された顔写真をもとに、自宅待機を守らなかった約200人が拘束されたと報じられました。