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「必死の対応だった」 大阪府幹部が第4波を総括

「必死の対応だった」 大阪府幹部が第4波を総括 (msn.com)

2021/06/16 産経新聞

新型コロナウイルス感染の「第4波」で変異株の猛威に直面した大阪府にとって、3月以降は誤算の連続だった。感染対策を担う藤井睦子健康医療部長は産経新聞のインタビューで、重症者が1カ月以上、確保病床数を上回った危機的状況を念頭に「備えが十分ではなかった」と総括。連日の病床上積みは「必死の対応だった」とし、最大計3500床の病床確保に向けて「医療機関との合意が不可欠だ」と強調した。

3月1日、2度目の緊急事態宣言の解除に合わせ、府は大阪市外の飲食店に対する営業時間短縮要請を終了した。1日当たりの新規感染者は56人だったが、同31日には600人に急増。藤井部長は「要請解除と変異株への置き換わり、年度替わりにおける人流拡大が重なった」と分析する。

3月1日は運用中の重症病床の一部を一般医療に切り替えることを府が容認した日でもある。これに対し、「感染者の急増に対応できなかった」との批判が根強いが、藤井部長は運用病床を減らすかどうかは各病院が決めるとして、「府で定めた基準と病院からの要望を踏まえた通知であり、今でも誤っていないと思う」と明言する。

府は3月31日、蔓延(まんえん)防止等重点措置を政府に要請。措置適用の4月5日から、大阪市内の飲食店に午後8時までの時短を求めた。しかし新規感染者は同13日に千人を突破、その後約3週間にわたり連日千人を超えた。

「重点措置で感染者の急増は止まったが、減少にまで持ち込めなかった影響は大きい」。藤井部長がこう語るのは、医療体制に極限の負荷がかかったためだ。

重症者は4月13日に233人に上り、確保計画の最大病床数224床を超過。5月4日の449人をピークに、重症者が確保病床数を上回る状況は同21日まで続いた。計画外の病床上積みを病院側に要請した当時は「明日の10床、明後日の10床をどうするか考え、必死の対応をしていた」。

同時に「歯がゆさも感じていた」と明かす。医療体制が刻一刻と厳しさを増す一方、重点措置の効果を見極めるために、2週間以上は同措置を継続せざるを得なかったのだ。

結局、府は3度目の緊急事態宣言を要請し、政府は4月25日に発令。3月末の重点措置要請からすでに約1カ月が経過し、対応が後手に回ったのは否めない。藤井部長はこう指摘する。

「経験と想定を上回る事態が起き、医療体制の危機を招いた。第4波の反省と教訓は、400人超の重症者が出たときに受け入れ病床が不足していた、この一点に尽きる」

府は第5波に備え、最大で重症500床、軽症・中等症3千床を目標とする新たな病床確保計画を公表した。担当者が4月下旬から病院側と水面下で意見交換を重ねてまとめたものだ。「病床確保は各病院の事情を踏まえ、議論を積み上げて計画にする作業。トップダウンでやってもうまくいかない。医療機関との合意が欠かせない」と強調した。(吉国在)