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社会問題

東京五輪、競技はできるが観客は感染状況次第

https://news.yahoo.co.jp/articles/e96847b61ebb2c48c32f299c27055fe76aff362b

2020/12/29(火) 6:31 東洋経済ONLINE

新型コロナの第3波が収まらない。医療の現状、GoToトラベルキャンペーンの問題、五輪はどうなるのか、ワクチンをどう評価するか、などについて、新型コロナウイルス感染症対策本部専門家会議、新型コロナ感染症対策分科会委員として対策の提言を行ってきた、川崎市健康安全研究所所長・岡部信彦氏に話を聞いた。  ――新型コロナの第3波が流行しています。エピカーブからいつ頃収まるか、予想できますか。 この記事の写真を見る  まだ、このウイルス、病気が見つかって1年経っていないのでよくわからないところも多々ある。新型インフルエンザなどは流行を何回か繰り返すうちに、新型ではなく普通のインフルエンザに成り下がっていき、人のほうも慣れていく。新型コロナはまずは少なくとも一巡、一定時間をすぎないと流行パターン、つまり自然の流れが見えてこない。ただ、今年3~4月の流行、7~8月とこの冬では、同じではなく、感染防止や治療など対処の方法も進んできた。

■「指定感染症」の指定は延長も、運用見直し  ――医療逼迫の危機が叫ばれていますが、対処法は?   比較的症状の軽い若い患者さんが重症の方と同じ医療機関に入院するのでは、ご本人の負担も医療側の負担も大きい。経過が見られる場合は、自宅療養、あるいは医療機関と自宅との中間的な宿泊所などでの療養をうまく使い分けるべきだと思う。病の重い軽い、症状の有無にかかわらずすべて入院させれば、限りある病床や医師・看護師などの医療体制、それを調整する保健所に大きな負荷が生じる。

 制度的にはそのような違いを可能としているが、運用が地域によって異なり、心配だからすべて入院させているというところもある。また、65歳以上は入院してもらうことになっているが、元気で悪化するリスクが小さいと判断されれば、宿泊所でもよいと思うし、それも制度的に可能となった。  ――全国保健所長会からは指定感染症であることで、入院が増えてしまう問題があるとの指摘があり、指定感染症を外す展望を示してほしいという声があります。

 指定を外して現状の2類相当をインフルエンザ並みの5類にしたほうがよいという主張はあり、そのメリットもあると思う。しかし、そうすると、一方で入院費・治療費は保健医療となり自己負担が大きくなる。また、いろいろな救済・交付金なども指定感染症だからこそ出せているところもある。指定を外せば、療養のためのホテル宿泊などの費用も公費負担ではなくなるだろう。また、インフルエンザは全国で5000か所の定点医療機関から届けられる届出制度になっているが、そのようにすると、まだ不明な部分の多いこの病気の疫学的データが集まらなくなるという問題もある。

 指定感染症の指定は厚生科学審議会感染症部会で1年延長することが承認され、現在は政府での最終議論になっている。延長は1年だけだ。ただ、2類相当といいながら、エボラ出血熱並みの1類あるいは新型インフルエンザの大流行時と同じ扱いをしているところもあり、そこは運用の見直しを提言している。  ――感染症に対応している病院や医師・看護師が限られているのはわかりますが、欧米に比べて感染者も重症者も桁違いに少ない。医療資源の配分にも問題があるのでは。日本医師会は「医療崩壊の危機」としていますが、もっと一般のクリニックや診療所から応援が頼めないのでしょうか。

 医師会というレベルでも協力は呼びかけてられている。しかし、感染症に慣れていない医療機関では感染対策に不安を感じているのも事実だ。  ことに最初の段階で、感染予防に必須のマスクがない、防護衣がない、ゴーグルもないということは医療機関にとってみれば「無防備」の印象となり、不安が高まったということは大きな躓きであったと思う。  またクリニックの医師が協力したいといっても、入居しているビルのオーナーがそのような疑いの患者がビル内にいるとなると風評に結びつくので診療をしないでほしいとか、コロナを見る医療機関に親が勤めているというだけで子どもが学校や幼稚園・保育所などで差別される、という話が残念ながら後を絶たず、看護師をやめたいという話もよく耳にする。

 感染症の流行とは、悲しいことにそういう嫌な面もいっぱい出てくる。優しい気持ちで協力したいという人たちを一般の人たちが応援するような空気にしていただきたいと強く思う。 ■GoToの考え方は問題ない。使い方次第だ  ――GoToキャンペーンで政府はたいへん批判を浴び、結局、一時停止に追い込まれました。しかし、寒くなった北半球では全般に感染が拡大しました。GoToによって本当に感染が広がったのでしょうか。

 人が動けば動くほど、その距離が遠ければ遠いほど、ウイルスなどの病原体は広範囲に散らばり、感染症がひろがることは避けられない。これは現代社会においては宿命だが、そのレベルが問題となる。僕はGoToという方法は全体から見ればよい方策だと思っている。利用者も安い価格で楽しめるし、事業者もお客さんが来てくれることによって、何とか持ち直したり潤ったりする。  休業や損失を政府が補償するというやり方は、短期間ならよいが、長引くと事業を継続できないし、仕事の「腕が落ちる」ということもあるだろうし、働く楽しみもなくなってしまう。

 ただ、人々は同じ時期に同じところへ同じ物を見に行くということになりがちで、もう少し分散できないものかと思っている。密にならないように使い方を工夫できればよいのにと思う。旅行に行くのはダメ、地方に住む両親に会いに行くのもダメ、とならないための上手な使い方の工夫とそこへの応援が今後は必要だと思う。  ――専門家会議から新型コロナウイルス感染症対策分科会・アドバイザリーボードメンバーなどとしてこの間、ずっと対策に関わってこられましたが、これほど意見の割れる問題もないのではないでしょうか。

 私は医療側なので、新型コロナの重症者が1人でも少なくなること、病気に対する多くの人の不安が収まっていくことが最大の目的だ。だが、事が大きくなってくると、経済活動・社会生活への影響など、医学的処方箋だけでは解決がつかず、他の手段とそのバランスが必要になってくる。誹謗中傷など人権問題にも対処しないといけない。いろいろの人の理解、協力、「よい塩梅(あんばい)」を探ることが大切だが、議論は幅があって当然であり、ある程度意見が割れるのは仕方がない。

 医学を超えて、政治問題、国際問題になると厄介だが、感染症が広がるとそうなりやすい。あっちの国が悪いとか、WHO(世界保健機関)から脱退したらどうか、なんて言い出す人もでてくる。そんなこと言っている場合ではないと思うのだが……。 ■五輪の選手は管理が可能、少なくとも競技はできる  ――そこで、焦点は五輪が本当にできるのか、という問題です。  僕は「オリンピックのために感染対策をやっているわけではなくて、感染対策の結果やれるかどうかだ」と最初から言っていた。オリンピック・パラリンピックの調整会議のアドバイザーに指名されたときに、「こういう考え方でいいですか」と確認したのは、「オリンピックの根本は技を競い合う、つまり『競技をやる』こと。まずそれが目標であり、そこから状況によって膨らんでいくことを考える、ということでいいですか?」ということ。それなら最低できるかもしれない。つまり、感染状況によっては「競技だけをやる」「無観客もありうる」ということだ。

 選手は何週間もこもって事前練習をし、ホテルと練習会場あるいは競技会場の往復だけだ。遊びに来るわけではなく、厳しい自己管理ができる人たちだ。観客をどこまで入れるかは、感染の状況によって考える。ただ、契約などお金の問題、経済・政治の問題になってくるのは避けられない。やめちゃうという選択肢もあるけれども、政府は「やる」と決めた、ということでしょう。  ――ワクチンを英国はもう打ち始め、日本も国策として確保に努めています。ワクチンには期待していますか。

 もちろん期待はしている。しかし現段階で評価するべきデータが手元に届いていないので、良いとも悪いとも、まだなんとも言えない。メディアは95%、93%の有効性という数字を大きく報道するし、その一方で副反応が1人出ただけでも大きく報道する。また、接種直後に偶然、心筋梗塞を起こすこともある。そうした場合、本当にワクチンのせいなのか、正当に評価する必要がある。それらのためにも海外のデータだけではなく、国内の治験データも見据えて評価したい。ただ、評価してから接種の準備に取り掛かるのでは遅いので、今の段階での準備は必要だ。

 ワクチンの開発には通常、10年以上かかる。今回はウイルスが見つかってから1年足らずでワクチンの開発研究から大量生産まで来ているのは、科学的にはものすごい勝利。ただ、皆の期待や不安が高まっている中で、アメリカなどで当局の関係者が「いついつ承認される見込み」というようなコメントを出すのはルール違反ではないか。最初から結論ありきのようにコメントすれば、専門家委員会が審議する必要はないということになってしまう。国内ではそうなってほしくないと思う。

■効果と副作用のデータを見極め、議論して判断する  ――効果とリスクについてはどう考えるのですか。全員分を確保、無料というと、かなり強く推奨する印象になります。  効果が30%しかなくても病気のリスクが高い、かかったら危ないのなら、採用するというのも1つの考え方だし、効果が90%あるが30%は副反応があるという場合は、どの程度の副反応ならば受け入れられるのか、という議論もでてくる。また、ワクチンには個人がかからないようにするだけでなく、広がりを防ぐという意味合いもある。

 ――インフルエンザは、高齢者は定期接種ですが、ほかの人は任意接種です。  新型コロナウイルスに対するワクチンは、多くの人に接種することによってそれぞれの人の健康被害を少なくするとともに、多くの人への感染の広がりを防ぐという目的から、臨時接種という方法を採用することになった。つまり国はワクチンを用意し、接種費用は国が負担し、万が一の副反応の事故に対しても国が救済をする。しかしあくまで、強制力を持つものではない、というスタンスだ。

 ――欧米と日本の死亡率の差はどこにあるのでしょうか。  医療の側から見ると、日本は健康保険制度をはじめ医療の基本がしっかりしていると思う。日本では、基本的には誰でもどこでもいつでも保険証があれば、適正な水準の医療が、あまり高い費用でなく受けられる。欧米諸国の中には最先端の医療は進んでいるが、貧困層は医者にもかかれないというところがある。つまりすべての人に良質な医療の提供ができていない。救急医療外来はごった返し、長時間待ちも珍しい風景ではない国もある。移民、難民の問題もある。

 ――自然免疫、ファクターX説はどう思いますか。  自然免疫というのは、ある病気に対する免疫すなわち特異免疫の前に作動するので、その起点となるファクターXはあると思う。しかしそれが何であるかはまだ特定ができていない。 ■安全性を求めすぎると委縮してしまう  ――日本では政府のGoToキャンペーンが批判され、野党が緊急事態宣言を主張しています。一方、もっと死者の多い欧米では政府がロックダウンなど制限をかけようとして、国民がそれに反対のデモを行っています。

 それぞれの社会の違い、弱点が見えてきますね。日本では一部メディアが怖さを強調している。映像、声のトーンなど、ホラー映画のような扱いをしているところもある。センセーショナルな話としてではなく「正しく怖れる」という気持ちになっていただきたいと思う。  また、最近の社会は、何においても責任を求めるというよりも、追及する社会になっていて、それがいろいろなことのやりすぎを助長する面もあるのではないか。1人患者が出ると会社も学校も謝罪会見。学校ではゼロリスクが求められ、さまざまな対策をしても、何かあると多方面から批判される。皆が高い安全性を求めるあまり、一方では「のびのび」という状況が廃れてくる。これは今後の社会としては、見直さなければいけないと思う。

 日本では皆が怖がりすぎてしまった面がある。たとえばまるで戸外の空気もウイルスだらけ、のように考えている人が少なからずいるように見受けられる。大気中に人に感染をするほどの濃度でウイルスがいるとは考えられないが、1人で公園を散歩している人もがっちりとマスクをつけている風景をよく見る。人と人の距離が一定程度保たれていて、しかも屋外であればマスクをする必要がない。公園など散歩するときはマスクを外してよい空気を吸ってくださいと、私はいろいろな場で申し上げている。また自分自身もそのようにしている。

 情報発信で難しいのは、ある対策を多くの人に向かって呼びかけると、対策が不十分な人にはあまり届かず、すでに十分対策をしている人がさらに注意をして萎縮してしまったりすることだ。粘り強く説明をするしかないのだろう。 

大崎 明子 :東洋経済 解説部コラムニスト