カテゴリー
コロナ 社会問題

新型コロナを”戦争”に例えた国ほど、封じ込めで悪戦苦闘している納得の理由

https://news.yahoo.co.jp/articles/1bbd705f2da75039620441f0faa7764349c5f66b

2021/8/19(木) 9:16 PRESIDENT ONLINE

世界的なパンデミックで、各国のリーダーはさまざまな「言葉」を国民に投げかけてきた。では日本の政治家の言葉はどうか。ジャーナリストの池上彰さんは「日本のリーダーには、言葉に力がある人が少ない」と指摘する。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長の上田紀行さんと、東京工業大学未来の人類研究センター長の伊藤亜紗さんとの鼎談をお届けしよう――。 【この記事の画像を見る】  ※本稿は、池上彰・上田紀行・伊藤亜紗『とがったリーダーを育てる 東工大「リベラルアーツ教育」10年の軌跡』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。 ■理系の学生にこそ「言葉で伝える」経験が必要  【上田】新型コロナウイルスの流行という未曾有の事態に、各国のリーダーはそれぞれ対応を迫られました。言葉の力で国民の共感を醸成した人がいたいっぽうで、はたして指導力を発揮できているのかと厳しい視線が向けられている人も見受けられます。いまこそリーダーの真価が問われていますが、その評価はさまざまです。  これからの時代のリーダー像を考える上で、これまでの議論をふまえ、意見交換の場を持つことが重要だと気がつきました。  【伊藤】本日はよろしくお願いします。私は池上さんが、「言葉の力」を理系の学生にこそ知ってもらいたいと書かれたことに注目しました。あらゆることを数式で表現しようとする東工大生に、「言葉で伝える」という経験が必要なのだと。そこに大切なことがあるように思います。  東工大では、新入生全員がスタートとなる科目が「立志プロジェクト」です。まさに、受験勉強に明け暮れた新1年生を入学直後に容赦なく言葉の世界に飛び込ませる科目だと思います。  そもそも「立志」とは聞きなれない言葉ですが、すごく面白い。「立志」とは、一見すると主語は「自分」で、「自分が志を立てるんだ」というふうに聞こえます。でも、実際に立志プロジェクトの授業を受けると、主語は決して自分ではないことに気がつきます。社会にとって必要なことは何か、人間のみならず生命界全体を考えたときにどうすべきか、数百年後の地球を考えたときにいま自分がすべきことは何かと、他者の視点から問うことが求められるからです。 ■リーダーたちが使った「戦争」というメタファー  【伊藤】そうすると、「立志」の主語は「自分」から、「自分ではないもの、自分のまわりの大きな世界」に替わる。この主語の転換は、学生らにとってインパクトは大きいようです。それまでどっぷりと漬かってきた受験という自己本位の発想から、周囲の世界に自分を向ける発想へと、視点の転換が行われる。「立志」には、じつはこんなスイッチが仕込まれているのだと、面白いなと思いました。  【池上】それは、自分中心ではない、新たな視点の獲得でもありますね。  【伊藤】はい。そんなところから、リーダーと言葉の力について考えてみました。いま私は、指導者たちがさまざまな場面で使うメタファーが気になっています。言葉の力というとき、このメタファーの力は大きく、重要だと思うのです。  たとえば今回の新型コロナで、リーダーたちが使ったメタファーでもっとも頻繁に聞こえてきたのは「戦争」という言葉でした。「これはコロナとの戦争である」と。そこから戦略を立て、戦術を考え、コントロールしていこうとする。そんなリーダーが多かったのですが、そのメタファーは正しかったのか。そもそも新型コロナウイルスとは、人類が戦うべき敵なのかということです。

■コロナは「戦争」なのか、「難民」なのか  【池上】マッチョな政治家ほど「戦争」と言いたがりましたね。アメリカのトランプ前大統領は「戦時大統領(wartime president)」と名乗り、フランスのマクロン大統領は「我々は戦争状態にある」と言いました。中国の習近平国家主席はこの闘いを「人民戦争」と称しました。  「戦争」をメタファーにした途端、「戦争には犠牲がつきものである」という話になる。そうなると「死者が出ても仕方がない」といった意識が出てくる。感染して亡くなった人は「戦死」、感染してしまった人は「敵方の捕虜」のように思われて、感染者に罪はないのに「ごめんなさい」と謝ったり、周囲から差別を受けたりする。これらはみな、「戦争」のメタファーによって喚起される意識や感覚です。  【伊藤】イタリアの小説家、パオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』(早川書房、2020年)の中で、コロナは結局のところ「難民」なのだと言っています。コロナにかぎらずウイルスはみな、自分たちの本来の住(す)み処(か)――たとえばコウモリやハクビシンの体――があるのですが、人間の環境破壊によって宿主の動物も本来の場所に住みつづけることができなくなって、新しい住み処を探すうちに人間の生活圏にどんどん進出してきているというのです。コロナもそうやって行き場を探している「難民」なんだと。だから今回のパンデミックも、「難民が引っ越しをしているんだ」と彼は言うわけです。 ■NZ首相にとってのコロナ対応は「思いやり」だった  【伊藤】コロナを「戦争」の敵と捉えるのと、住み処をなくした「難民」と捉えるのとでは、対応は大きく変わるはずです。そう考えたとき、世界のリーダーたちが示した「戦争」のメタファーは、はたして正しかったのか、大いに疑問です。  目の前の状況をリーダーがメタファーで語ることとは、世界観を提示することにほかなりません。そのことにリーダーはもっと自覚的であってほしいし、私たちもその使用に慎重に向き合わなければならないと思います。  【池上】そのいっぽうで、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相は、「私たちに必要なのは思いやりです。みなさんにお願いしたいのは助け合うことです」と言いました。彼女にとってコロナへの対応は、戦争や闘いではなく、「思いやり」や「助け合い」によってなしうることだったのですね。これは大きな違いです。  「男は」とか「女は」とか言うつもりはありませんが、世界を見渡すと、マッチョなリーダーが戦闘モードを打ち出したところでは、コロナ対策はあまりうまくいかなかったように見えます。それに対してニュージーランドや台湾など女性がリーダーのところでは、比較的うまくいっている傾向があるのではないでしょうか。「戦争」というメタファーで表現した先に、何か綻びが生じるのではないかと私も思います。

■今こそ「人間的な深み」が求められる  【上田】ほんとうにそのとおりですね。「戦争」や「敵」というメタファーは、「敵と私とはまったく別物」とか「敵のせいで私は不利益を受けている」という、分断線に基づく表現ですよね。ところが人類史を振り返ってみれば、私たち人類の遺伝子にはウイルス由来のものが多いわけです。そしてその遺伝子がなければ人類が人類となっていないものもたくさんあります。例えば、人の胎盤にある特殊な膜のおかげで母親と胎児の血液型が異なっていても母子は共存できるんですが、その膜の遺伝子がウイルス由来のものだと最近分かったんです。となると、ウイルスに感染していなければ哺乳類も人類も生まれていなかったということになります。われわれは実はウイルス由来なんですよ。ウイルスはわれわれの外に存在しているとともに、既に我々の中にある。我々自身の一部でもあるわけです。  もちろんコロナウイルスの感染の予防、治療対策は重要です。しかしそもそもウイルスとは何かという生物学的な素養や、私とは何か、どこまでが私なのか、私の中にある他者も私なのではないかといった哲学的な深みのある教養があれば、単純な戦争や敵のメタファーには陥っていかないのではないか。こういう時だからこそ、私たちには人間的な深みといったものが求められているように思います。 ■「同調圧力」を利用して自粛を呼びかける政治家たち  【伊藤】日本でも、「戦争」のメタファーは使われてはいませんでしたが、お互いを監視する雰囲気や、感染者を攻撃するような空気を強く感じました。感染した人から「感染した自分が悪い」とみずからを責める言葉が出てくるのを聞くたびに、それほど思いやりのない扱いを受けているのかと、気持ちが沈みました。  【池上】自粛警察が出てきて、戦時下の隣組や江戸時代の五人組のような互いの監視が行われました。国の方針に従わないと非国民と謗(そし)る、あるいは他県ナンバーの車が入ってくると石を投げたり傷をつけたり、太平洋戦争中の日本での「非国民」を思わせる行為もショックでしたね。  麻生太郎副総理は、日本は他国に比べて民度のレベルが違うのでロックダウンしなくても感染拡大を防げるのだと言いましたが、それは要するに自粛しない者は非国民だという社会の空気によって、皆が行動を規制し合うことで結果的に感染拡大がなんとか抑えられているということが背景にあります。日本の政治家たちは、そうした同調圧力を前提にして、むしろそれを利用して自粛を呼びかけている、そういう面が次第に顕わになっていきました。

■日本のリーダーには言葉に力がある人が少ない  【上田】そうですね。東工大のリベラルアーツ教育が「自由にする技」を強調するのは、まさに日本社会の同調圧力が我々から自由を奪っているという、強い認識がありますよね。空気を読んでそれに従うだけでは「志」なんかいらないわけです。むしろ「志」なんか邪魔ですよね。そして自分の言葉を持つこともまったく要らなくなってしまいます。  【池上】日本のリーダーには、言葉に力がある人が少ないと思いませんか。菅義偉総理の会見を見ても、言葉で人を説得しようとか寄り添おうとか、そういうことが感じられません。官僚が書いた原稿を棒読みするだけです。菅総理だけではありません。日本の政治家のなかに、言葉に魂を込めて人を奮い立たせて、いろいろな困難を乗り越えていこうといった熱量をもった人は本当に見当たらない。なんとなく空気を読んで、阿(あ)吽(うん)の呼吸で渡ってきた人が多いからです。 ■失言を生み出す、“わきまえて”黙っている空気  【池上】政治家の失言を見ていると、周囲の人が何も言わず皆“わきまえて”黙っている空気の中から半ば自然と失言が生まれてくるものだとわかります。日本ではこれまで、リーダーがみずからの言葉の力を磨くことがおこなわれてこなかった、そういう場もなかったのだと私は考えています。  これからのリーダーはそれでは務まりません。海外のリーダーと対話もできない。西欧のリーダーが言葉を武器にする背景には、ギリシャ・ローマ時代からのリベラルアーツの伝統があり、多様な人種、多様なバックグラウンドや主義主張を持つ人々を説得し動かすには言葉を駆使するしかないという歴史の積み重ねがあります。日本では、これまでは多くを語らずとも伝わるという暗黙の了解が成立していたかもしれませんが、時代は変わり、そんな了解は通用しなくなりました。インターネットとグローバリズムによって社会が分極化し、負の側面をさらけ出していますが、社会がバラバラになり、人々の興味関心もどんどん多様になるほど、言葉の運用力が求められるのです。

———- 池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト 1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』など著書多数。 ———-

———- 上田 紀行(うえだ・のりゆき) 東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院長 1958年東京都生まれ。文化人類学者。東京工業大学教授リベラルアーツ研究教育院長。東京大学大学院博士課程修了(医学博士)。東工大学内においては、学生による授業評価が全学1200人の教員中1位となり、2004年に「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。 ———-

———- 伊藤 亜紗(いとう・あさ) 東京工業大学 未来の人類研究センター長 1979年東京都生まれ。東京工業大学 科学技術創成研究院 未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。東京大学大学院博士課程修了(文学博士)。専門は美学。著書に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』『どもる体』など。『記憶する体』はサントリー学芸賞を受賞。 ———-